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[2002年] かものはしの始まり
無知ゆえの好奇心がそこにあった
かものはしプロジェクトは21年目に入った。2022年には、かものはしの理念の中心に「尊厳」をすえる意思決定をした。そして、組織を変化させていくために僕が理事長という役割を担わせてもらうことも決めた。このタイミングで、かものはしの始まり、インドへの展開、カンボジアからの撤退とSALASUSUの独立という3つの大きな局面について振り返り、学びを言葉にした。あわせて、理事長としての指針について皆さまに共有したい。
2002年にかものはしプロジェクトがスタートした。村田は子どもたちの状況についてなんとかしたいと思っていた。そして、僕ともうひとりの創業メンバーの本木は、なんとかできるかもと思って、その可能性にわくわくしていて、かものはしは始まった。僕が村田から児童買春の話を聞いたのが19歳。深夜まで話し込んだ。3ヶ月だけやってみようと決めた。3ヶ月だけ調査して、自分たちにできそうなことがあるか考えてみようと話した。そして、ITで児童買春問題を解決するというコンセプトの事業を立案し、もう少しやってみようと決めた。自分が担当したのはITビジネスの立ち上げ。3人の中ではパソコンがわかるほうだったというそれだけだった。最初の仕事は、プロジェクトを開始してから6ヶ月後、当時、若者の間では死活問題だった、携帯電話のメッセージの「絵文字」に関連する仕事。売上は数万円だった。