かものはし20年の歴史を
振り返って
青木 健太Kenta Aoki
共同創業者・理事長
2002年、村田、本木ととも団体を創業しました。当初IT事業を担当し、大学も中退してしまいました。2009年からカンボジアに渡り、貧困家庭出身の女性たちを雇用するコミュニティファクトリーを運営しています。2018年からはNPO法人SALASUSUとして独立し、現在は教師教育を通じた公教育改革にカンボジアで取り組んでいます。2022年からかものはしプロジェクト理事長も兼務。仕事柄教育の論文を読んだり書いたりすることがあるので、あのとき大学をちゃんと卒業してれば良かったと思いつつ、日々頑張って学んでいます。最近娘と遊びに行くのが楽しみです。
無知ゆえの好奇心が
そこにあった
かものはしプロジェクトは21年目に入った。2022年には、かものはしの理念の中心に「尊厳」をすえる意思決定をした。そして、組織を変化させていくために僕が理事長という役割を担わせてもらうことも決めた。このタイミングで、かものはしの始まり、インドへの展開、カンボジアからの撤退とSALASUSUの独立という3つの大きな局面について振り返り、学びを言葉にした。あわせて、理事長としての指針について皆さまに共有したい。
2002年にかものはしプロジェクトがスタートした。村田は子どもたちの状況についてなんとかしたいと思っていた。そして、僕ともうひとりの創業メンバーの本木は、なんとかできるかもと思って、その可能性にわくわくしていて、かものはしは始まった。僕が村田から児童買春の話を聞いたのが19歳。深夜まで話し込んだ。3ヶ月だけやってみようと決めた。3ヶ月だけ調査して、自分たちにできそうなことがあるか考えてみようと話した。そして、ITで児童買春問題を解決するというコンセプトの事業を立案し、もう少しやってみようと決めた。自分が担当したのはITビジネスの立ち上げ。3人の中ではパソコンがわかるほうだったというそれだけだった。最初の仕事は、プロジェクトを開始してから6ヶ月後、当時、若者の間では死活問題だった、携帯電話のメッセージの「絵文字」に関連する仕事。売上は数万円だった。
当時を振り返ると僕は社会の複雑さも事業をする難しさもわかっていなかった。無知だった。社会に挑むことへの好奇心しかなかった。だからこそ勢いよく始めることができたのかもしれないと思う。もしあのとき社会も人間もこんなにも複雑であることを知っていたら、その重圧と難しさに耐えられず始めていなかったかもしれない。でも、一歩ずつ進んできたからこそ、今は15000人のサポーターに支えられ、10数のパートナー組織とともに活動をしている。この20年間は、さまざまな人にたくさん迷惑をかけたし、たくさん支えてもらい、たくさん学んできた。そんな旅路だったと思う。
2002
どうにかしたいと事業プランを考え、様々な人に助けを求めた
2003
2002年10月 初めてのカンボジア渡航。タイから国境を陸路で越えた。車の荷台にて自撮り
2005
カンボジア:パソコン教室をひらく。孤児院の子どもたちを受け入れた
2008
カンボジア:村長さんの家の部屋を借りて事業スタート。村の女性たちに初めての給与を手渡し
カンボジア:村に分け入り、ファクトリーを設立
「同情」から「共感」へ
2012年からかものはしはインドでの活動を開始した。インドの人々との出会いはとても大きかった。インド事業を力強くリードしてくれているループとウマ、清水や本木や他のメンバーと対話したことを深く覚えている。ループとウマのオフィスの小さな部屋で、床に座り何度もいれなおしてもらったチャイを飲みながら問われたことは、その後の僕らのあり方に大きな影響を与えた。「外国人である君たちが、なぜインドの人身売買の問題を解決しようと思うんだ?同情か?それとも共感か?」鋭い知性、深い思想が彼らにはあって圧倒された。と同時に優しく包み込まれるような対話だった。
正直なところ、これまでの自分たちは同情的なあり方だったと深く考えさせられた。カンボジアやインドにかわいそうな被害者がいて、自分たちはヒーローのように助けにいく。そこにある問題は自分とは関係のない他者の問題として、外からパズルを解くように「問題解決」する。そんなあり方をしていたように感じた。そんなあり方がループとウマには伝わっていて、「同情か共感か」と聴かれたのかもしれない。
その後、ループやウマに誘われて、助ける対象であった人身売買の被害者でありサバイバーであるリーダーたちと対話をし行動をともにする中で、彼らの痛みを自分のものとして感じ、また自分自身がその問題の一部だと気づいた。そのとき自分には娘が生まれており、娘がそうした被害にあったらと思うと、本当に自分ごととしてぞっとした。もちろん自分自身には人身売買の直接的な経験はない。しかし誰かに裏切られ、暴力をふるわれ、自分の意思を失わざるを得ないときの痛み。そこに同情ではなく自分ごととして共感できたと感じたときに、問題や事業に関わる視点が大きく変わった。誰もが社会の当事者であり、自分もまたこの問題の当事者であることに気づくことができたのはとても大きいことだった。
当初の「同情」的な自分たちのあり方や行動は、現地の社会が有する力を無視し、そして当事者の尊厳を損なうようなものであったと今は思う。今のインド事業は、サバイバー、NGOの人々など一人一人の声を互いに聴きあい、自分もインドの人たちも当事者としてともに事業と社会を創っている。僕はそのことを誇りに思っているし、このような事業と組織のあり方を目指している。
2009
カンボジア:子どもを買わせないために警察支援を開始
2011
カンボジア:暑いカンボジアの村のファクトリーでものづくりを通じた人づくりに挑む
インド:世界中を調査しインドでの展開を決定。写真は潜入したインドの売春宿の入り口
2013
©Natsuki Yasuda
インド:NGOリーダーたちと議論と対話。ものすごく濃く深い学びがあった
2015
©Natsuki Yasuda
インド:サバイバーやインドのNGOリーダーたちの話に耳を傾けた
自分を大事にして
世界を癒やしていくこと
2018年に、かものはしはカンボジアから撤退した。一方、僕自身は事業を引き継いでSALASUSUという団体を立ち上げ独立することを決意した。それを決めたとき、実は理由はうまく言葉にできていなかった。自分がやりたいことは自分の心の中に存在するけれど、まだはっきりしていなかった。それは、かものはしのミッションには相容れないとも感じていた。
かものはしは「子どもが売られない世界をつくる」というミッションを重視していた。そこからはみ出るような事業は優先順位を大きく下げざるをえなかった。ミッションに対して合理的であり、ある意味で冷徹な判断は、僕たち個人をミッション達成の道具のように扱おうとしてくる。「人身売買の撲滅」という強力で誰も疑う必要がない大きな物語が、個人の物語よりも無条件に優先される。カンボジアの人々とともに過ごす中で、社会の変化によってその大きな物語からはみ出てしまった僕個人にはとても冷たい物語のように感じた。
一方で、「個人」としてのかものはしの仲間は自分の決定を支えてくれた。僕が何を感じていて独立しようと考えているのか、僕の家族や幼少期にさかのぼったルーツを丁寧に聴いてくれた。聴いてもらう中で、自分が癒やされていく感覚があった。自分のやりたいこと、ありたい姿が明瞭になっていった。共感される体験のパワフルさ。僕一人では到底のぞきたくもない自分のダークゾーンに、みんなで手を繋いでゆっくり降りて行くことができた感覚。「あぁ、これが僕が一人の人として、当事者として尊厳を大事にしてもらえた瞬間だったのだ」と今だとよくわかる。
そして、自分のやりたいことは、「人が生き生きと自分の人生を楽しめるようになるように応援すること」だと気づいた。コロナ禍において相当にきつい時期があったけれど、今回の報告書でもご報告したように、事業と組織が成長していることを実感している。SALASUSUはカンボジアのすべての学校で、誰もが聴き合って、学び合って、支え合って、そして自分の人生を楽しむことができる教室を創っていくことを決意した。ここまでたどり着き、また歩んでいこうと思っている。それは、自分自身が聴かれ、共感してもらい、癒やされたこと、それにより自分の心が柔らかくなり、あらゆる可能性に対して開くことができたことが大きかったと感じている。
2015
©Natsuki Yasuda
カンボジア:女性たちのつくった商品が並ぶ直営店
サポーターのみなさんがカンボジアとインドでの活動を支えてくれた
2017
カンボジア:撤退と独立の前年にみんなで
©Siddhartha Hajra
インド:かものはしインドパートナーNGOとかものはし役職員のワークショップ
インド:サバイバー、弁護士、NGO関係者等数十名でのTafteesh戦略会議
尊厳を中心に
そんな僕がまた、かものはしの理事長を任されることになった。それはこの20年の学びを次の世代に繋げていく役目をもらったのだと思う。
自分を癒すこと。それが、組織を癒やし組織の活力を生み出す。そして、その組織が社会を癒やし、社会の活力を生み出す。これが社会変革において最も大事なことであり、かつ社会変革に至る最良の道だと僕はこの20年間で学んだ。これから社会変革に挑み続けるにあたって、まず私たち自身の尊厳を大事 にし、人生の旅を楽しめるような組織へと育みたい。尊厳が大切にされ、大切にすることで、一人一人が自分の人生の主人公になっていく。そして、その人生の物語を互いに聴きあえる組織であり社会。そこに向けて理事長として挑戦し、また次のリーダーにバトンを渡していきたいと考えている。
2019
©Siddhartha Hajra
インド:若いサバイバーたちが立ち上げ積極的なコミュニティ活動を展開するBandhan Mukti
日本:児童虐待に関する事業をスタート
2022
かものはしの理念の中心に「尊厳」をすえる
インド:コロナ禍初のインド出張でILFATを支える戦略同盟グループと2日間のワークショップを実施
カンボジア:コロナ禍の中でSALASUSU(元カンボジア事業部)も進化し、カンボジア公教育の領域に挑み始める
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