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Report of India

法案の頓挫から生まれた「対話」という一縷の希望 インド事業レポート

このレポートで使われている写真の女性は全て、本文に登場する女性とは関係ありません。

法案の頓挫から生まれた「対話」という一縷の希望 インド事業レポート

※このレポートは、
2018年度年次報告書の記事を再編集したものです。

Report of India

インド年次報告書

清水 友美Tomomi Shimizu

インド事業部ディレクター

この一年を振り返って

 毎年、年次報告書を書く時期になると、自分の中で一年を振り返る時間を取るのだが、この一年の私にとってのキーワードは「包括法案(※)」と「対話」であったように思う。かものはしの基幹事業であるタフティーシュを始めて丸6年。事業評価も始まり、アウトプットや成果をさまざまな角度で提示され、脳が刺激される。そんなこともかものはしサポーターの皆さまにいつかちゃんとお伝えしたいと思いつつ、今回は私がもっとも時間と気持ちを費やした「包括法案」と「対話」というテーマに焦点をあてて一年を振り返ってみたい。

 かものはしは2014年9月から、パートナー団体を通じて、包括法案に間接的にかかわってきた。日本人である私たちが、インドの法案形成に直接かかわることはできない。私たちがとった役割は、インド政府が包括法案立案を提案した際、法改正委員だった私たちのパートナー団体を通じて、これまでの調査結果とデータを提供することで、インド政府による法案立案の技術的側面支援をちょっとだけ行ったことだ。また現場の声をメディアとつなぐことで、世論形成の一助を担った。

 私たちは、インドで人身売買の問題が解決されるために、以下の3点が法律に定められ、実行されることが重要だと考えている。①州をまたぐ捜査機関の設立と運用、②リハビリテーション権利の確立、③リハビリテーションプロセスの自由化。この3点のうち、①と②を法案の中に盛り込むことに成功し、法案は紆余曲折を経て2018年2月に閣議決定し、同年7月18日、国会の下院に提出された。

※包括法案とは:包括的な人身取引法案のこと。この法律が通れば、インドで州をまたぐ人身売買の捜査機関が設置さることやサバイバーのリハビリテーションを受ける権利が定められる。

心が震えた瞬間

 下院の国会議題にこの法案が乗ってから、私たちは毎日国会中継を片耳に仕事を続けた。この間、サバイバーリーダーたちは、インドの他10州の当事者とともに国会議員に会い(2018年7月19日)、この法案の重要性を申し入れた。同時に、パートナー団体とサバイバーリーダーたちは自分たちのコミュニティに働きかけ、3500枚を超えるポストカードを書き、モディ首相に、この法案を立案してくれたことへの感謝と成案を訴えた。

モディ首相に宛てたハガキ

 下院国会の議題に上がっては審議されず、を毎日繰り返していたが、突如2018年7月26日、今から審議されるという連絡が入ってきて、私はオフィス帰りの電車の中から国会中継にくぎ付けになった。ヒンディ語と英語のミックスで国会が進んでいき、夕飯の支度もできず、子どもたちも巻き込んで、ずっとインターネットで国会生中継を見ていた。かものはしの東京事務所も巻き込んで、刻々とインドから入ってくる状況を実況中継した。日本時間の20時からガンディ女性子ども開発大臣が答弁を始め、20時52分、私たちが支援してきた包括法案は国会の下院で可決された。この瞬間、東京事務所側は、え、通った?えええええ!という反応で、インド側と私は興奮と感動で泣いた。野党による法案反対意見が優勢の中で、ガンディ大臣は「私たちは、女の子を搾取する悪習を何年も何十年も何世紀にもわたって続けてきました。誰もがその悪習がなくなることはないと思っていたけれど、なくすのだという意思を持って取り組めば、女の子が搾取されない時代を作れる」と言い、この法案の足りないところは州規則を作る中で対処するのでこの法案を通させてくださいと言い切った。

 私は彼女の発言を聞きながら気持ちがいっぱいになった。この法案支援をめぐってたくさん喧嘩をし、寝不足にもなり、腹立たしく思うこともあったけれど、この瞬間を皆で見られたことに心が震えた。これに全身全霊を注いできたパートナー団体たちを思ってまた泣けた。

 しかし、この法案は、2019年1月の冬期国会で上院の議案に乗ったものの、審議されることなく、2019年5月の総選挙に突入し、廃案となった。

包括法案の成立を
阻んだもの

 インドは、2019年5月に下院議員任期が満期となるため総選挙があり、総選挙前に下院は解散となる。この法案が成立するためには、下院解散前に上院で可決される必要があった。したがって、私たちは上院でこの法案が可決されるかどうか、固唾をのんで見守った。しかしながら、総選挙前の国会は大荒れで、包括法案は上院の議案に乗りながらも、ついに議論されることはなく、2019年4月、総選挙に突入した。その結果、私たちが4年半の時間とエネルギーとお金をかけて育ててきた包括法案は頓挫した。

 この包括法案成立を難しくした理由が2つある。一つは、性産業に従事しているセックスワーカーたちとその支援グループが国際世論を使って大規模かつ戦略的な抗議行動を行っていたこと、もう一つは、反人身売買系NGOの「声」が3グループに分散し、一致団結したセックスワーカー系の抗議を前にかき消されたことである。

 セックスワーカー系グループは、この法案立案過程から自分たちが排除されたこと、包括的な政策がない中でこの法案が成立することにより、自分たちのような社会的に脆弱な人々の権利がさらに奪われる可能性があること、性産業に従事することに誰が「同意」していて誰が人身売買被害者なのかを特定することが非常に困難な状況の中で、警察がその線引きを行うことは、警察による強制レスキューを増やし自分たちの生計を立てる権利を奪われること、を主な反対理由としてあげていた。反人身売買系NGOは、この法案に反対するグループ、支援するグループ、無関与を貫くグループに分裂した。その理由はさまざまであったが、同じく法案立案過程で意見を聞いてもらえなかったことに腹を立てたグループ、包括法案が性産業撤廃を主目的としていないことから反対したグループ、すでに人身売買保護条例があり、新しい包括法は現場を混乱させるだけだと無関与を貫いたグループなどに分かれた。

サバイバーやパートナー団体と議論を重ねた

包括法案が
通らなかった意味

 冬期国会会期中、今日審議されなかったら廃案が決まる、という日の朝、私はひとり家でこの4年半の月日を振り返った。私たちにもっとできたことはなかったのか、今日、法案審議がされないとしたら、そこにはどんな声があり、どんな悼みが必要とされているのか。それにはどんな意味がありうるのか。一時間ほど振り返ったとき、ふと、今日通らなかったとしたら、それにはきっと意味があり、人が人を売るという悲しいイシューを根本的に解決するには、まだもう少し視点を変える勇気と時間が必要であるということなのだろうな、と腑に落ちた。4年半全身全霊のエネルギーで向き合ったとか、時間をかけたとか、お金をかけたとか、それはそれでとても大切だけれど、それに固執しすぎて本質を見失うのではなく、通らない意味を真摯に受け止めようと腹をくくった。そして、その日、法案は審議されず、廃案となった。

 ひとつだけ、できたらよかったけれど、私たちには力不足で難しかったのが、性産業に現在も従事している若い世代と人身売買被害者の直接対話である。

 包括法案をめぐる活動の多くは、代理人戦争となっていた。セックスワーカーの権利を主張するインドのNGOやアメリカ・イギリスなどのフェミニストを含むグループと、人身売買をなくすために活動するインドのNGO、労働搾取を目的とした人身売買抑止活動をするグループ、イギリスや日本などの「インパクト志向の強い財団」などが、「当事者に代わって」この法案を通すべき、とか、この法案を廃案にすべきだと社会に訴えた。当事者たちが包括法案についてどう思っているのかが直接その議論に乗ってくることは、残念ながらほとんどない。これらNGOや国際グループは、当事者は傷ついていて、直接メディアや社会に顔を出して主張すると「プライバシーの侵害になる」から、読み書きもできない彼女たちがメディアに訴える力はないから、彼女・彼らに代わって自分たちが伝えているのだ、という。

 でも、果たして、そうなのだろうか。そこに、意図せず、彼ら・彼女たちのアジェンダを自分のアジェンダにすり替えて、サバイバーの思いではなく自分の意見を主張しているということはないだろうか?「彼らがどう思っているかは自分が一番よく知っている」と思い込んで代弁する中に、暴力は本当にないと言えるだろうか?

次の5年を目指してあきらめずに一歩ずつ進む

 私たちはタフティーシュの事業を通じて、サバイバーリーダーたちがゆっくりと自力で立ち上がっていくところ、彼女たちが、自分たちの中に押し込めてきた気持ちを外に出したときの、周りをハッとさせる力、彼女たちが自分たちだけで県知事に会いに行ったり、ガンディ大臣に手紙を書いたりした時の、受け手に与えるインパクトの大きさを見てきた。シェルターを運営してきたNGOは、彼女たちに良かれと思って、困難を耐え忍んでシェルターを運営してきたはずなのに、シェルターでの経験は牢獄と一緒だったと言われ、言葉が出ないほど傷ついた。自分を売り、搾取した加害者を有罪にするためにシェルターに長期滞在を強いられたけれど、それは自分にとっては正義を獲得するプロセスではなかったと言われて、加害者を有罪にするために懸命に働いてきた弁護士は深く傷ついた。これらの場合、サバイバーが一方的に絶対正しいということを言いたいのではない。彼女たちの言葉に反応的になるのではなく、その声を受け止め、自分の意図を伝える勇気と、新しい戦略を一緒に話し合う成熟した関係が社会を変えていく。

 私たちはタフティーシュの中で、そんなことをずっと「実験」してきた。だからこそ、サバイバーリーダーたちが、性産業に今まさに従事している現役世代と直接、この包括法案について意見交換をしたら何かが生まれるのではないか。両当事者グループの声と、これまで活動を続けてきた双方のアクティビスト、NGOたちの知恵を両方出し合うことができたら、今度こそ社会を変える力になりうるのではないか。そう思って、ずっとその対話の道を探ってきたけれど、双方の恐怖心と猜疑心と、これまで長年積み重ねてしまったやり場のない憤りが作り出す防御壁は非常に高く、この包括法案の活動の中でその道を作り出すことはできなかった。

インドで議論中の清水

 法案が頓挫した翌月の5月、私たちは四半期の検討会議を行い、なぜこの法案が通らなかったのか自分たちに問うた。私たちは本当にセックスワーカー系グループの声に耳を傾けたと言えるのか、私たちタフティーシュメンバーの行った包括法支援活動は効果があったと言えるのか、もっと効果的であるために何がもっとできたのか。

 今年5月、総選挙を経て新政権が誕生した。新政権のもと、包括法案が一から立案プロセスをやり直すのか、上院からの審議再開となるのかは、政府方針を待つ必要がある。しかし、私たちはあきらめない。どこからのやり直しになっても、冒頭に書いた3つの観点を盛り込んだ包括法案を、セックスワーカー系グループとの対話を通じて、目指していく。法改正の必要性については、エコシステム全体の認識ができたから、次は、誰かの一方的な正義が、ほかの誰かの正義を犠牲にしない、本当の意味での包括法案成案を目指す。次の総選挙は2024年。私たちは次の総選挙で、人身売買を社会全体でなくすという政治的コミットメントを取り付けようと目標設定した。

 そう思ったら、突如セックスワーカー系グループから声がかかり、サバイバーリーダー4人がセックスワーカー系の会議に参加する機会を得た。今年5月中旬の話だ。自分たちが全力でプッシュしてきた法案に力強く反対するセックスワーカー系グループに初めて会ったサバイバーリーダーたちは、「セックスワーカーの権利が認められることが一番の優先事項で、あなたの話はそのあとね」と言われたことに腹を立てたり、セックスワーカーには彼ら・彼女たちなりの不安や恐怖心があり、それが彼女たちの抗議行動に表れていたことに感動したり、今度こそ彼ら・彼女たちと一緒に社会を変えるのだと意思を新たにしたり、たくさんの思いを抱えて帰ってきた。

 私はこの対話に一縷の希望を託し、かものはしにしかできない役割を、次の5年も謙虚に実直に果たしていきたい。

清水 友美Tomomi Shimizu

インド事業部ディレクター

2011年から2年間のインド駐在を経て、2013年7月からかものはし東京事務所勤務。大学院卒業後、国際機関や人道支援機関で開発援助事業に携わる。森と温泉が好き。

包括法案の成立のために。
社会の仕組みを変え、人身売買被害者が正義と権利を
取り戻すために。

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