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カンボジア

カンボジアインターン~清水の半年間の戦い~

こんにちは!共同代表の青木です。
2011年の9月から2012年の3月まで、清水さんというインターンがカンボジアオフィスにて大活躍してくれました。清水さんが貢献してくれたことは非常に大きく、今後のコミュニティファクトリーを運営していく上で欠かせない仕組みがいくつも出来ました。彼女の活動を振り返りつつ、カンボジアオフィス一同、この場を借りて感謝したいと思います。
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Annual Partyにて、共に農村を駆け回ったソーシャルエンパワーメント部門のスタッフと清水。
■仕事への情熱 
「なんでやるって言ったことが出来ないの!」
オフィスに清水の声が響いた。凍り付くスタッフ。一瞬の沈黙の後、清水がスタッフを丁寧に一つ一つ確認し指導をしていく。
清水がカンボジアオフィスに来てから2ヶ月ほどたった2011年11月、ようやく仕事になれ、まさに担当しているプロジェクトを加速していこう、そんな折だった。
日本人が考える仕事のスピードやクオリティ、約束の意味、どうしてもカンボジア人とはズレが出てしまうことが多い。郷に入っては郷に従えとは言うものの、完全に郷に入ってしまうと日本人が来ている意味がない。どうにかそこに折り合いをつけてやっていくことは口で言うほど簡単ではない。清水が熱くなってスタッフとぶつかる姿は日常茶飯事となっていた。
清水は日本の大手企業で3年ほど営業職を勤めた後、マレーシアでの日本語教師経験、シドニーでの大学院を経てかものはしプロジェクトのカンボジアオフィスにやってきた。Skypeでの面接でしか会えていなかった僕にとって、カンボジアで最初にあったときの第一印象は
「なんか厳しそう。凄い細いけど体は大丈夫だろうか。仕事はできるんだろうか?」
という感じだった、ような気がする。
仕事を色々任せてみるものの最初は、上司としての僕の活用方法や、スタッフへの仕事の頼み方、とりわけカンボジア人スタッフの英語がわからず大変苦労していた。
しかし、仕事や環境に慣れるにつれて徐々に彼女の本性を思い知ることになる。(こんな事書くと怒られそう。)
彼女のコミュニティファクトリーに来る女性達や、仕事に対する強い情熱が至る所で発揮されてきたのだ。
例えば、農村でもう暗くなっているにもかかわらず、ファクトリーに通う女性に何か問題があると聞けばスタッフみんなを連れて農村に突撃する。スタッフがやると言ったことをやらなければ本気で怒る。カンボジア人スタッフとの議論がヒートアップし、気持ちが伝わらないと本気で落ち込む。時には涙も。(いや、良く泣いていたような気が。)
そんな彼女の情熱・行動力・想いがスタッフにも伝わり、信頼を勝ち得るまでにはあまり時間がかからなかった。
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壮行会の様子
■成し遂げたいくつもの改革
カンボジア人の英語にも慣れたようで、水を得た魚のように活き活きと仕事をしていた清水。
「青木さん、最近仕事が楽しくてしょうがないんです。ちょっと前までは帰ろうか、と思っていたのに。」と繰り返していた。
満を持して様々な部門のスタッフとチームになって様々な改革に乗り出した。彼女が手がけたプロジェクトはとてもここで全部を紹介することは出来ないくらい多岐にわたっていた。
その中でも一番力を入れていたのがソーシャルエンパワーメント部門の改善。特に家庭訪問やカウンセリングの実施だ。
コミュニティファクトリーが単なる工場と違う大きな特徴。それはソーシャルエンパワーメント部門の存在。事情があって工場に通えなくなった女性の支援や、工場の活動や課外活動を通して彼女たちの生きる力を育むのがその役割だ。小学校を途中で辞めた女性も多い中で、毎日同じ場所に通うというだけでも大変なのだ。家庭の問題、急に決まる出稼ぎ、悪い男にひっかかる、借金の問題、病気の問題、様々な問題が日々彼女たちを苦しめている。
そんな彼女たちの問題を親身になって聞いてあげること、そして可能な限り一緒に問題解決をしていくこと、そのためには家庭訪問やカウンセリングが欠かせない。しかし、80人もの女性達が地域全体から通ってきている中では、家庭訪問だけでも大変。少しずつ伸ばし伸ばしになってしまったり、訪問したことをきちんとレポートにまとめたりということが出来ていなかったのだ。
そこで清水は数多くの家庭訪問に同行するだけではなく、家庭訪問を行う仕組みや、スタッフのトレーニングを行って状況を改善しようと考えた。どういう時に家庭訪問にいくのか、家庭訪問では何を聞かなくてはいけないのか、いつレポートを書くのか、レポートをどう共有するのか。農村出身のスタッフにとってはどれ一つ簡単な事ではなく、最初はなかなかうまくいかなかった。そんな中、コミュニティファクトリーを辞めていく女性達もいたのだ。その知らせを聞くたび、清水は動揺し、悲しみ、怒り、時には涙を流していた。
そんな清水の思いが通じ始めたのは2012年の1月〜2月にかけてだっただろうか。週の最初に決めた家庭訪問の予定をきちんと消化し、レポートも100%実施されるようになってきたのだ。清水によるチェックリストからフォーマット作り、管理帳票作りという準備。それに加えて、さんざんスタッフをトレーニングし、家庭訪問に同行し、スタッフがレポートを書くのを促し、支援し、時にせっつき回した効果が表れたのだ。スタッフも自信を持ち、スタッフ自身で業務を回すことが出来るようになった。改善が実った瞬間である。
それ以外にも、チームリーダー制度の改善・チームリーダートレーニング、働く女性の評価システムの改善・実施、生産管理の改善など時に悪戦苦闘しながらも様々な事を成し遂げてくれた。
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オフィスにて
■別れの時
半年は長いようであっという間にすぎてしまった。スタッフとの信頼関係も築き、その他にも沢山の友達が出来、日々を送っていた清水とも別れの時が来た。清水を日本に送るときの飲み会でスタッフが泣き出したのは印象深かった。それほどスタッフと共に時間を過ごし、共に戦ってきたのだ。コミュニティファクトリーにおいても、最後の出勤日では、村の女性達に抱きつかれたり、プレゼントをもらったりと彼女たちにとっても大きな存在だったことを改めて感じた。
 
ほぼ唯一の駐在員である僕にとっても清水は大きな存在だった。実は同年齢の清水と僕は、仕事をする中で沢山の時間を過ごし、志や夢を語りあい、互いに励まし合った。シェムリアップの友達と一緒に時にバカ騒ぎをしたりもした。スタッフへの丁寧な指導、細かい部分までやり遂げる実行力、僕自身も沢山のことを彼女から学ぶ事が出来た。
 
清水にとっても、途上国で仕事をすることの本当の大変さや、逆にそこにあるおもしろさを感じた6ヶ月間だったのではないだろうか。
「大変」という言葉では片付けられない様々なジレンマや葛藤、理不尽な出来事、日々めまぐるしく状況が変わる様子は経験してみて始めてわかるものだ。体調を崩し2回も病院にお世話になりながらも、最後まであきらめずに仕事に取り組んだ。彼女が夢に描いていた国際協力に向けて一歩を踏み出したからこそ得られた経験。今後、かものはしを卒業し、どこにいても彼女にとって、そして彼女が一緒に仕事をする途上国の人たちにとって有意義なものであることを願っている。
 
本当に沢山のものを残してくれた清水さん、次の場所でも活躍するよう応援しています。本当にありがとうございました!

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