村田 早耶香Sayaka Murata
共同創業者・アフターケア事業部
日本で活動を始めた想い
海外で活動をしてきた私たちが、なぜ日本国内の問題に取り組んでいるのか、活動を始めた想いを伝えさせてください。2002年から活動を始め、日本全国で「子どもが売られる問題」を伝えてきました。その中で、活動に関心を持ってくれた子ども・若者が熱心に伝えてくれた話を聴き、実は日本の子どもたちも見えづらい暴力や搾取の被害にあっていることを知りました。
カンボジアやインドで、だまされて売春宿に売られている子どもたちと会ってきましたが、日本でも、暴力や搾取の被害にあった経験のある子どもたち、若者たちに会うことがありました。家が安全な場所ではなく、家庭内の暴力から逃れるため、冬に凍えながら公園で眠ったり、ネットで助けを求めて泊めてくれた人から性行為を強要されるなどの状況でした。
報道されたケースでは、男性が、10代の家出少女をインターネット上で誘い出し、監禁して少女になりすまして客引きを行い、管理売春をさせていた事件がありました。10代前半の少女すらも管理売春をさせられている状況が、普段使っている大きなターミナル駅の近くで起きていたことに衝撃を受けました。
「カンボジア、インドで見てきたことと同じじゃないか」
足元の日本でも同じことが起きていることを知り愕然としました。どうにかしてこの状況を変えたいと思い、まずは個人的に色々な団体でボランティアをしながらできることを探してきました。知れば知るほど、「家が安全ではない」状態の子ども・若者たちが、家族の助けを得られず、時には家族からお金を要求されたり、家族が足を引っ張ってくる状況があることを知り、強い憤りを感じました。
日本事業のスタート
日本でも子どもが売られている状況がある。その背景にある「家が安全ではない」状態の子ども・若者たちを何とかしたいという思いは時が経つごとにどんどん強くなりました。また、児童買春や児童虐待という単独の社会課題の解決に留まらず、社会の根底にある社会通念を、人の「尊厳」が守られる温かい社会を作るものにしたいという想いが強くなりました。
当初は、確認されている被害者数が少ない日本国内で活動することに対して、団体内外から戸惑いの声も上がりました。しかし、児童買春の被害が世界的に見て改善傾向にある中で、足元の日本で子どもたちが虐待に苦しみ、そこから逃れようとする中で何重にも傷つき搾取され続けた末に、時に自ら命を閉じようとしている現状がありました。先進国で制度が充実しているはずの日本で、その恩恵を受けられず、大人の暴力や搾取の犠牲になっている子どもや若者がいる。「この状況を変えたい、この状況を変えられなかったら一体何のために活動しているんだ」と悔しさに震えました。
ご関係者、支援者の皆さまと何度も対話を重ねてご理解いただき、2019年より、晴れて日本の児童虐待を中心とした「子どもを取り巻く不条理」をなくすための活動を始めることができました。皆さまの多くが、日本での活動も応援してくださっていることを、本当にありがたく思っています。
日本国内では、官民の垣根を超えた地域連携・協働で、虐待を予防するコレクティブ・インパクト(CI)事業と、当事者の声を現場の支援や制度に反映させるVOICE事業を行ってきました。さらに、VOICE事業の中では「子どもアドボカシー」の活動と、当事者の声を政策に反映させる活動をしてきました。
葛藤と
その先に見えた希望
「子どもアドボカシー」とは、子どもの声に耳を傾け、その声を必要な人に伝えることができるよう一緒に考えサポートすることです。例えば、児童相談所の一時保護所で、虐待から保護された子どもが、保護所での生活についてや、「児童養護施設に行きたい」「家に帰りたい」など、保護所を出た後について、自分自身の気持ちや意見をまとめ、伝えたい人に伝えるためのサポートを行います。この活動を「子どもアドボカシー」、子どもの声を聴きサポートをする人を「子どもアドボケイト」と呼びます。子どもアドボケイトは、子どもの秘密を守り、第三者として関わるので、子どもたちに安心して意見を言ってもらいやすい状況を作ることができます。
私自身も、アドボケイトとして活動するための研修を福岡・東京の2か所で受け、「一般社団法人子どもの声から始めよう」という団体が東京で行っている、児童相談所の一時保護所での活動に参加させていただきました。子どもたちの様子は守秘義務やプライバシーがあるので詳細をお伝えすることはできませんが、子どもたちが、なぜこんなに苦しい思いをしなければいけないのか、我が子を虐待するに至った親御さんがどんなに追い詰められていたのかを思うと胸が締め付けられました。
一時保護所に通っていた期間は、目の前の大切な子どもたちの傷つきに触れ、怒りを感じたり、やるせなさを感じることもありました。子どもたちと一緒にスポーツをしたり、おしゃべりをしている時間はとても楽しく、子どもたちをとても大切だと感じる時間でした。一方で、そんな大切な子どもたちが傷つけられてきたことを知ると、より一層憤りや悲しさを感じました。ご縁があって関わらせてもらった自分にできることは少ないけれども、その子がその時にやりたいと思ったことを一緒にやることで、少しでも気持ちが晴れたり、お話ししてすっきりしてもらえたら良いなと思っていました。
こうしてアドボケイトとして関わる中で、毎週話をしていた子が、自分の意見をまとめ、希望を出した結果、それが認められて希望が叶ったことがありました。自分の人生の大切なことを決める時に、自分の意見をきちんと伝えてそれが叶うという、当たり前のことだけれど今まで難しかったことが実現し、自分の人生の舵取りを自分でしているという感覚を子ども自身が持てた時に、その子が自分の未来を自分の手でつかみとったんだなと、その子の力強さや、前を向いて進んでいる清々しさに希望を感じました。
また、現場の支援が、子どもたち目線で子どもたちにとってより良い支援に変わっていくと感じました。私自身はこの活動の重要さを実感し、より多くの子どもたちが「子どもアドボカシー」の制度を当たり前に使えるように、国が子どもアドボカシーを制度化していくために、民間からできることを続けたいと思っています。
他にも、社会的養護を経験したリーダーたちとともに政策提言をしたり、社会的養護を出た若者たちへの緊急支援も行いました。当事者リーダーたちが、「自分が育ててもらった社会的養護の分野に恩返しがしたい」、「今施設にいる子たちのために何かしたい」と活動している姿はとても力強く、また、当事者目線の意見にはっとさせられることが多かったです。
活動をしていく中で、児童虐待に対して「何とかしたい」と思い、それぞれの立場で行動する人が増えていると感じました。国の法律も何度も改正され、予算も少しずつ拡充しています。現場には尊敬する想いのある職員の方がたくさんいて、担当省庁の方々もたゆまぬ努力をしてくださっています。
行動する人が増えれば
社会は変わる
児童虐待の問題はとても複雑で、何か一つの活動をしてすぐに状況が改善するわけではなく、関係する人たちがそれぞれの場所で皆で状況を良くするために動く必要があります。日本国内で子ども向けの支援の総量を増やし、子どもたちの目線で支援をより良くするために、政治、行政、企業、NPO、市民など関係者が連携して動く必要があります。また、私たち市民にもできることはたくさんあります。学び、行動する市民が増えれば、子どものために各界で努力している人たちの活動が応援され、より活発に活動をすることができると信じています。例えば、地元にある子ども支援団体や、児童養護施設などに寄付をしたり、ボランティアをしたりすると、地元の方の応援を受けて、団体の皆さんにとっても大きな力になることと思います。自宅で子どもを受け入れて養育する「里親」という制度もあり、里親になってくださる方はとても必要とされています。企業であれば、施設を出た若者を積極的に雇用すると、安心して若者たちが巣立つことができます。子ども支援に熱心な政治家に投票をすることも必要です。どのような形でも良いので、それぞれができる範囲で、無理なく行動することで、子どもを取り巻く不条理な状況を改善できます。
そして、かものはしプロジェクトでも、これからより本格的に日本事業を進めてまいります。「誰もが生まれてきてよかったと思える社会」を作るために、この日本での子どもの問題にぜひ一緒に取り組んでください。
日本事業スタッフのメンバーと村田(左から3番目)
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村田 早耶香Sayaka Murata
共同創業者・アフターケア事業部
大学在学中に東南アジアで子どもが売られる問題の深刻な現状を見て、最初は一人で出来ることから取組みを開始しました。その後20歳の時に仲間出会いかものはしプロジェクトを創業しました。現在は日本で子どもが傷つけられている現状を変えたいと日本事業を進めています。綺麗な海が大好きです。