子どもが売られない世界をつくる | 認定NPO法人かものはしプロジェクト

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インド

知ってしまった人の役割

みなさま、こんにちは。

2015年よりインド事業部に参画している福井です。

今回は、インド出張を通じて見えたインドでの人身売買という問題の奥深さを
インドのNGO団体の一日を通じて感じていただけたらと思います。

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GGBKの職務室兼相談室

GGBK(※)の朝は早い。

まとわりつくような4月の 蒸し暑さがしばし和らぐ明け方から、GGBKの一日は始まる。

※GGBKについて詳しくはこちらの記事をご覧下さい。
人身売買被害者に最も寄り添った支援を行うCBO団体「GGBK」

今回のインド滞在は、2015年2月にかものはしに入職してからの、
初の出張であり、初めての渡印でもあった。

もともと感情移入しやすいタイプの人間だが、
かものはしに入職するにあたって自分の中である決めごとをした。

かものはしが取り組む問題の根深さは、想像を遥かに超える。

その底知れなさを受け止めた上で、自分はどのように関わっていくのか。

これまで受けてきた訓練の中で培った方針として、湧き起こる感情の揺れを自覚しつつも、

"冷静に現状理解に努めることに注力しよう。"

"目を背けたくなるような現実であっても、どれだけ時間がかかっても、
理解する努力を続けることを放り出さない。"

その先に、問題解決の糸口があると思うからだ。

コルカタに向かう女性たち

職員が事務所に出勤するのはだいたい10時ごろだ。

しかし、7時半には2名の女性がGGBKにやってきていた。

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女性たちが暮らす農村の風景

前日夜からGGBKの事務所に滞在させてもらっていた私は、洗面所に向かう途中で女性たちを見かけた。

痩せ形の二人の女性は、同一の男性によってレイプされた被害者だった。

犯人はまだ処罰されることなく、彼女たちが暮らす地域で何事もなかったように生活している。

この日、彼女たちは、コルカタで検察官と面会する予定であり、彼女たちは村はずれの自宅からGGBKがあるカニングを経由してコルカタまで電車で向かうことになっていた。

おそらく日の出前に家をあとにし、朝の超満員通勤列車に揺られ、コルカタに着く頃にはクタクタだろう。

彼女たちには、先立つものもなく弁護士を雇うことができない。

暴行された当時、新聞には腫れ上がった顔写真とともに記事が掲載されたが、容疑者は証拠不十分で起訴には至っていない。

彼女たちがコルカタへ向かったのは、起訴するための証言を検察官に伝えるためだった。

早朝にGGBKを訪れた理由は,コルカタまでの交通費と検察官との面談に伴う費用を借りるためだった。

検察官と面接するためには「資料代」として経費がかかるのだ。

彼女たちには、1300ルピー託されていた。

面接するための資料代とコルカタまでの交通費がかかる。

列車は片道10ルピー、駅に到着後タクシーに乗ったとしても、おそらく彼女たちに託された1300ルピーはかからないだろう。

西ベンガル州で農業に従事する人々の、一日あたりの最低賃金が216ルピー(あくまでも公式発表賃金)であることを考慮すると1300ルピーは決して少額ではない。
※1ルピー=日本円約2円

なぜ1300ルピーも託されていたのか。

後で聞いた話だが、証言するためにコルカタに出向いたのは今回が初めてではない。

彼女たちは過去に3回も足を運んでいた。

そして、その都度実りのない出費がかさんでいたのだ。

「資料代」という名目で資金を要求され、現金で支払うことが不可能な場合は、魚や米による物納を要求されるという。

20分ほどで女性たちはコルカタに向けて出発していった。

しかし、彼女たちのとても不安気で出発前から気落ちしているような表情が気になった。

限られた資源と絶え間ない相談者

女性たちが去る頃には、既にGGBKの事務所の中庭は賑わっていた。

そこにはウォッチグループ※として、GGBKと一緒に活動している夫婦がいた。

その夫婦の隣には、娘が人身売買の被害に遭っているという40代、50代ぐらいの女性たちがいた。

40代の女性の娘は人身売買の被害に遭い救出されたあと、現在まで一時保護施設に保護されていることが分かっている。

50代の女性の娘は、依然として行方が分かっていない。

※ウォッチグループとは、地域の安全を保ち、性暴力や人身売買の被害を防ぐために、地域住民が主導で字形活動を行うボランティア組織である。

GGBKが取りまとめ役を行い、被害者の家族や一般住民が参加している。

GGBKが地域で活動していくためには、このボランティアグループが欠かせない存在だ。

職員は9時半くらいから到着し始め、連絡事項が一通り共有されたら、相談者との面接が始まる。

訪問者が一人また一人と増え、1時間も経たないうちに中庭にある土間づくりの簡易集会所も混み合ってきた。

報告事項が職務室で共有される中、相談者とその親族はその部屋の片隅でケースワーカーと並び、GGBK代表のニハルさんとプロジェクト・マネージャーと向き合うかたちで座る。

相談者は自身の体験をシェアし、ニハルさんからの助言を得る。

相談者たちは途切れ途切れ小声で話す。

子どもを抱えていた女性は、その子をあやすために立ったり座ったりしていた。

別の相談者は、傍らで涙ぐみ感情的になる母親の言葉にうつむくだけだった。

集会所にいる人数を考えると不釣り合いに静まりかえっており、渡印後目にしたクラクションが鳴り響き、それを被せるように、人々がけたたましく会話をするインドではない別の土地にやってきたような錯覚すら覚えるほどだ。

日常にある暴力と抑圧

彼女たちに降りかかった事件は、近隣住民によるレイプであったり、夫や彼の家族によるDVであったりする。

被害者には11歳の女児もいた。

こういった出来事自体がすでにとても悲惨なものなのだが、彼女たちに対する抑圧は決してこれらの悲惨な出来事一つでは終わらない。

家族であれ近隣住人であれ、被害女性を完全に支配するために暴力はエスカレートしていく。

辱めを受けたことを口外することに対して、身近な人が危険に晒されたり、恒常的な体罰に収まらず凶器を使って生命の危機に曝されるような暴力に転換していった。

それも、一人ではなく集団で押さえつける。

それが加害者の家族であったり第三者である有力者からの圧力であったりする。

十代前半で結婚し、まだ17歳の少女でありながらも自らの赤子を抱えた女性は、義母にとげのついた棒で日常的に叩かれていた。

さらに少し前に池のほとりで洗濯をしていたところ、義母に池に突き落とされ長いほうきのようなもので頭から押さえつけられ溺れさせられそうになったともいう。

そこで、彼女は嫁ぎ先を逃げ出し実家に戻った。

当時、村の役員に相談したが、彼女は最終的には夫とその家族のもとに戻ることになった。

そして今回、彼女は義母と叔母と夫とに竹製の檻に閉じ込められ、放置された後、夫から彼らの目の前で首つり自殺することを強要され、抵抗するならば殺害すると言われた。

このような相談の流れがほぼ途切れることなく一日中続いていく。

そして、この17歳の少女が経験した脅迫自殺未遂の事件も決して特異なケースではない。

集会所のベンチに腰を掛け順番を待っていた男性は、娘が行方不明になって以来、毎日GGBKにやってきて新たな情報がないかを尋ねに来ていた。

彼女も嫁ぎ先からいなくなったとのことで、夫に直接売られてしまったのか、日常的な暴力からの脱走が失踪の引き金になっているのかは分からない。

唯一分かっていることは、彼女と連絡が取れなくなる前、夫からの暴力があったということだ。

だが、このような情報だけでは警察はまず動くことはない。

そして、事件と認識されていない未解決の問題だけが積み上げられていく。

インドでの人身売買は、必ずしも突然起こる単独の出来事ではない。

一つの人身売買が起こるまでの過程で、様々な暴力や抑圧がある。

また、それらは一過性のものでもない。

そこには、個人の自律性を物理的な力や心理操作で奪い、暴力や抑圧が脈々と続いていく温床がある。

その延長線上に人身売買は起こっている。

長い夜...でも、明けない夜はない

夕刻、朝一にコルカタに向けて出ていった二人の女性が戻ってきた。

時刻は、夜の9時に近かった。

彼女たちは、朝に会った時以上に意気消沈していた。

ニハルさんは、予定されていた面会時間に検察官が不在であり、彼女たちは待つように促されたと説明してくれた。

最終的に検察官は現れたが、裁判に向けて調査書を準備することもなく、面会料としての「資料代」を徴収して二人にまた出直してくるよう促したという。

朝から自分の中で蓄積しつづけていた憤りがいよいよ決壊し、頬に涙がこぼれ落ちた。

これまで彼女たちが歩んできた道のりを想像し、胸が締め付けられる思いになった。

そして、口惜しさ、哀れさ、恐れ、やるせなさ、悲しさなど、
ありとあらゆるやりきれない感情が一気に押し寄せ、こみあげてしまった。

でも、零れ落ちた涙は3滴にもならなかった。

というのも、私の頭の中は、
"彼女たちがこれから一時間ほど両脇に田畑が続く真っ暗な道を通って村はずれの自宅に戻らなければならない。"

という、もうひとつのゆるぎない事実でいっぱいだったからだ。

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何の収穫も無く司法制度との消耗戦を重ね、結果的に彼女たちの安全は誰にも保障されず自らの身は彼女たちが守るしかない。

行動したことでさらなるリスクを負う結果になってしまうという事実が重たかった。

その晩、なかなか眠りにつけなかった。

「道中くれぐれもお気をつけて」
と彼女たちの背中を見送ることしかできなかった。

「自宅に着いたらメールして」
と伝えておけば良かったのか。

でも、これも彼女たちの安全を担保するものではなく、あくまでも自分の心が安堵するに過ぎないのだけれど。

"早く朝が来れば良い"
とこの日はただひたすらそう願った。

湿ったベッドの上に横たわりながら、
「知ってしまった人の役割」
というかものはし入職前に聞いた村田さんの講演時のことばを思い返した。

月明かりの下で、自分は何ができるかを夢中で書き出した。

翌朝、また同じ日常がはじまった。昨晩書き出したリストがさらに長くなっていく。

20150720_india_FukuiProf.jpgライター紹介:福井 陽名
インド事業部アシスタント・マネジャー。アメリカの大学院で人の移動について実証研究を行い、帰国。2015年よりかものはしプロジェクトに参画。

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