子どもが売られない世界を作るため、寄付・募金・ボランティアの協力によりカンボジア・インドをメインに活動する国際NGO

2014年05月13日

【歴史から学ぶ人身売買問題】過去の日本と現代のインドに共通するもの


インドを訪れた際に、
ムンバイにある「日本寺」へお参りにいった。
そこにある墓の側面には、
一周囲うようにして埋葬されている人名が彫られている。

日本人の女性の名前が多数見られる。
この女性達は一体何のために、遠いインドまで来たのだろうか。
 

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"からゆきさん"
 

日本寺の住職の方から、初めてその言葉を聞いた。
"からゆきさん"とは、
19世紀後半から東アジア・東南アジアへ渡り、
多額の借金を背負わされ、無理矢理身体を売らされていた
日本人女性のことである。
当時地理的に農作物に恵まれない土地に加え、
日本政府により義務づけられた
収穫高の4〜5割もの税率の貢納も人々の生活を圧迫していたため、
農業以外の稼ぎ口が求められた。
その時の選択肢となったのが、"からゆきさん"だったのだ。

Karayukisan_in_Saigon.JPG
"からゆきさんとして海外に渡航した日本人女性の多くは、農村、漁村などの貧しい家庭の娘たちだった。彼女たちを海外の娼館へと橋渡ししたのは嬪夫(ピンプ)などと呼ばれた斡旋業者、女衒たちである。こうした女衒たちは貧しい農村などをまわって年頃の娘を探し、海外で奉公させるなどといって、その親に現金を渡した。女衒たちは彼女たちを売春業者に渡すことで手間賃を得た。"
  
そんな彼女たちの存在を、
私はインドで「日本寺」を訪れるまで、知らなかった。
私は現在もアジアで起きている「子どもが売られる問題」を
どうしても解決したくて、海を越えてインドへ行った。
しかしそこで出会ったのは、時代は違えど私と同じ日本に生まれ、
人身売買の被害に遭い、インドまで売られていった"からゆきさん"だった。
そして日本の"からゆきさん"と同じ悲劇が、
150年経った今も、同じ地球の、しかも、
"からゆきさん"が売られていった先で起きている。


普段日本にいて感じることのない
「人身売買への恐怖」を、急に身近に感じた。


そんなきっかけで"からゆきさん"の歴史を調べたら、
"からゆきさん"と今のインドで起きている人身売買問題には、
いくつも共通項があることに気がついた。

今回は過去に生きた"からゆきさん"と、
"現代のインドに生きる少女"を例に挙げて話を進めていく。
 

 karayuki1.jpg
※写真は被害者の女性ではありません

私が"からゆきさん"について調べるために読んだ本がある。
山崎朋子さん著『サンダカン八番娼館』だ。
ここで登場する"おサキさん"は実在した、
天草出身の"からゆきさん"である。
彼女の住む家は筆者によってこう記されている。

『「ひどか家じゃが------」と念は押されてはいたものの、
一体、これが人間の住む家だろうか。
その家は山をえぐってできた崖下にあったが、「[...略...]」
私には、昔話に聞く鬼婆の宿としか思われなかった。』
(山崎 1972:33-34)

私がインドで出会った、
おサキさんとほとんど同じ歳のサバイバー(人身売買被害者)である
"ジョティ"(仮)の家も、上記と同様の表現ができる。

ジョティの家は崖下にこそないものの、
家の周辺には無数の池とカラカラに乾いた土しかなく、
またその池と池の間に続く細い道の合間には、
まるで切って貼ったかのような手作りの家々が並んでいた。
私は彼女の家を訪れた際、
"こんな生活をしている人が同じ時代にいるのか!"と大きな衝撃を受けた。

 karayuki2.jpg
※ジョティの住む家から見える景色とよく似た田園風景

またおサキさんもジョティの家庭も、
一日三食の食事を口にしていなかった。
もちろん両者とも肉類や野菜類が食卓にあがることはなく、
栄養は非常に偏っていた。

"貧困"そして"人身売買"という同じ苦境に立たされた彼女たち。
そんな過酷な状況下にいた彼女たちを"支えたもの"も共通していた。

おサキさんはたった十歳にしてボルネオに売られた少女であった。
何度嫌と言って抵抗しても虚しく、
多額の借金引き換えに、幼い身体を売ることとなった。
ボルネオの港に船が到着した日は、客の数が普段と比べてとても多く、
酷い日には一晩で三十人もの客を相手にしたというのだ。

そんな聞くに耐えないような日々の中で、
人の優しさに触れることもあったという。
特に著書のなかでは"おクニさん"という
女郎屋主の女性の優しさに、何度も助けられたことが書き記されている。
幼いころに母からの愛情が断たれ、
身ひとつで海外まで売られてきた彼女からすると、
おクニさんから受けた愛情、そして、
「商売道具」としてではなく、「ひとりの人間」として扱われた経験は、
彼女の心の灯火となったはずだ。
 


私はジョティにも、同様のことを感じた。
彼女には、とても温かい家族があったのだ。
彼女の両親は娘が行方不明になった後、家財を売り、
借金をしてでも娘の行方を捜していた。
二年後、彼女は売春宿からレスキューされた後、無事に故郷へ戻った。

現在はかものはしのKaarya(カーリャ)プロジェクト
(人身売買の被害者に対して、心理的回復と経済的自立支援を行う事業)
を通して、家の近くに小さな雑貨屋さんを開いた。
ギリギリの生活ではあるが、家族と共に暮らすことができている。

ジョティの家を訪れた際、
彼女のお母さんは嬉しそうに私たちを家へ招いてくれた。
彼女のお父さんはチャイを全員分だしてくれた。
「もうおなかいっぱい」といっても、
「もっと食べて!」と、
今度はお店で販売している甘いお菓子を差し出してくれる。

(自分たちが食べていくだけでも大変なのに...)
私はなんだか胸がいっぱいになって泣きそうになった。

ジョティの両親と触れ合ってみて、
彼女は家族からとても愛され、大切にされていることを感じた。
そしてインドでも、彼女を「ひとりの人間」として、
見てくれる人がそばに居ることが、
彼女の生きる支えとなっていることを知った。

  karayuki3.jpg
※写真は本人ではありません

今回はからゆきさんと現代インド人身売買問題の共通項を
"住居"、"食事"そして"人の優しさ"の面からあげた。
しかしそれ以外にもまだまだ似通っている点が存在する。

現代のインドで起きている人身売買問題は
決して遠い国で起きている遠い話ではない。
なぜならかつてそれが日本でも起きていた"事実"があるからだ。

19世紀後半から1920年廃娼令発布の間、
20万〜30万人いたと言われる "からゆきさん"を
生み出した「システム」は、今の日本には存在しない。
様々な取り組みによりこの事象は過去のものとなった。



インドにおける「子どもが売られる問題」を解決させることは、
難しいけれど、同じように、解決できるのだと強く思う。

私たちは自分の国の過去から学ぶことができる。
またそれがもう二度と同じ苦しみを味わう子どもを出さない世界を
創り出せるのかもしれない。


<参考文献>
山崎朋子(1972/筑摩書房)『サンダカン八番娼館』(※絶版)
(2008年に文藝春秋から新装版として再販)
amazon

IMAG1479 (1).jpgライター紹介:谷 杏奈

高校2年生のときに「子どもが売られる問題」に出会い、以来問題解決のために様々な視点からアプローチしている。現在は大学3回生を1年間休学し、問題の最前線に取り組めるインド事業部にてインターン中。

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